赤い手帳からオフサイドした写真…そして離陸。

 

空港は独特な匂いがする。

世界中の人々が集まった空間。人の匂い。

免税店に置かれた数種類もの香水か混じり合った香り。様々な食べ物の匂い…

成田空港は広く、天井もあんなにも高いのに、色のない匂いは僕らの小さな鼻の穴に入り込んでくる。

匂いというのは不思議と人の記憶に染み付く。空港の匂いを嗅ぐと、何処でも良いからどこかへ旅に出たくなるのが不思議だ。

 

今のようにEチケットなどなかったから、

事前に発券されたアルゼンチンまでのチケットをパスポートに挟み、リュックの底に大事にしまい込んでいた。

チケットを無くしたら僕には行き場所がなくなり、人生の迷子になってしまうような、そんな怖さがあった。

航空会社はカナディアン航空を利用し、

アルゼンチンまではトロントリオデジャネイロを経由してブエノスアイレスに到着する。

トロントでは一度税関を出て、カナダに入国し、改めて出国手続きをしてから、次のリオ行きの便に搭乗する事を代理人から聞いていた。当時はそれがどういう事かあまり理解できていなかった。

 

母親は空港まで見送りに来てくれていたが、別れ際に何を話したかは覚えていない。

しかし、記念に写真を撮った事は覚えている。

アルゼンチンから帰国して数年後経ったある日、テーブルに無造作に置かれていた母親の赤い手帳からその写真がはみ出していた。

もしかしたら未だにあの写真は赤い手帳に挟まれているのかもしれない…

 

飛行機はその日の風向きを見て、向かい風に向かって全速力で助走し飛び立つと聞いた事がある。不器用な僕もまた、わざわざ向かい風を探しアルゼンチンへ走りだしたのかもしれない。

同じ方向に突き進んでいても風向きはいつしか変わるはず、今思い返せばそんな日を信じ走り出したのかもしれない。

 

離陸してからしばらく時間が経っていたのかシートベルト着用のランプは消えていた。

僕はそれに気がつかずにいつしか眠っていたようだ。

体中が緊張や不安でいっぱいだったのかもしれない、今でも様々なことに追い詰められると眠気がやってくる。

きっと睡眠中に物事を整理しているのだと思うのだが、正直睡眠中の整理より、起きて行動した方が解決の近道だという事は恥ずかしながら昨日知った。

外国人のスタッフが食事を運んでくると、僕の前に座っていた日本人のマネをしてチキンと答えた。

まるで始めて人と話すかのように緊張した僕に、客室乗務員は笑顔で食事のプレートを差し出してくれた。

僕は今も機内食が好きだ。味ではなく、あの時不安や緊張を一瞬でも紛らわしてくれた恩がある。

パサパサのパンも味気ないおかずも、皮を剥いたらいいか、そのまま食べたらいいか分からない一粒のブドウも好きだ。

 

空を飛ぶ飛行機の中にいる僕は、地に足をつけていない。何者でもないという事が少し嬉しかった。

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