目に見えないモノ…

堀越高校にサッカー推薦で入学した僕は、周りの選手のレベルの高さに愕然としました。

当時、ずば抜けて強かった帝京高校は全国から有能な選手を集めていました。

 

帝京高校をやや格上に見ていた堀越は、東京のトップクラスの選手が集まっていました。

僕はセレクションというサッカーでの入学試験でこぼれ球を5発叩き込み、2試合で5得点という数字を残し推薦入学の枠を勝ち取ったのです

 

ごっつぁんゴールのラッキーだけで高校に入ったわけです…

 

故に入学後に他の選手とのギャップに日に日に落ち込んでいきました。

周りの同級生にどう見えていたかは分かりませんが、日に日に自信を喪失していきました。

しかし僕は高校二年になると関東大会のAチームに入ります…

一つ上の三年生は全国で闘える技術が備わった素晴らしい先輩ばかりでした。

二年からは3名か4名ほどの選手がAチームのメンバーに入り、その中に自分がいる事を素直に喜べず

『なんでオレなんだろぅ…』とさらに下を向き始めました。

 

【何が】という具体的なキッカケではなく、日々のちょっとした事で精神は落ちていきました。でもそんな心のうちとは裏腹に明るく過ごしている自分は人間らしかったと思えます。

練習をしたくない、学校に行きたくない。

試合に出てもパスが回ってきてほしくない。

そんな毎日。

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僕は学校以外の場所でサッカーをする事が楽しくなります。

練習や試合で疲れていても、学校とは別の環境でプレイすると、なんだか自信が持てるのです。

オレは堀越のサッカー部に所属していると…

そんなもんなんですかね?

だから卒業まで頑張れば良かったかもしれません。

僕はきっと楽な方を選んだと思います。

僕はある出版社の草サッカーチームに知り合いの伝手で参加し、そこである一人の日系アルゼンチン人の男性と出会います。

 

その人は、日本で選手を見つけアルゼンチンで鍛え育てた後に、日本のサッカーチームに売るという仕事を始めるところでした。

 

要するに、サッカー留学を仕事にするだけです。

 

自信が日々欠けていき下を向いて歩く自分。

見つめる地面の先にあったアルゼンチンという国。

 

漠然とただ漠然とアルゼンチンに行くと決めたんです。

アルゼンチンで頑張り故郷に錦を飾る!

なんて思いがなかったわけではありません。

でも本心は理由をみつけて、カッコつけて学校を辞めたかっただけでした。

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では、なんでそんな半端な想いの僕がアルゼンチンで三年間も過ごしサッカーを続け、J2のモンテディオ山形に入団できたのか…

その前にアルゼンチンでの生活についてを書きます。