アルゼンチンまでは約30ジカン アルゼンチンにたどり着くまでの約16ネンカン
僕がなぜアルゼンチンまで行ったのか…
僕は日本のサッカーシステムから逃げました。
僕は小学校3年生からサッカーを始め、
小学校、中学校と、たいして強くない学校のサッカーチームに所属し【お山の大将】でいました。
勉強は全くできず、というか負け惜しみを言えば勉強は全くせずサッカーだけして、自分はプロになれると勘違いしながら学生生活を送っていました。
小さなお山の大将の逃亡先が
ブエノスアイレスだった…
中学時代に勉強での高校進学を早々に諦めると、サッカー強豪校には《セレクション》というものが存在し、サッカーのテストに受かれば推薦で進学できる事を知った僕は、高校に行くならこれしかないと思いました。
中学生の僕は自分の将来に学歴が必要ないのは何となく察知していて、
『高校に行かなくてもいいかな』なんて、すでにフリーター志望のような意識がありました。しかし親に高校くらいは出ておいた方が良いと言われ、超サッカー強豪校の帝京さんには一目置いて、当時、東京サッカーの三強と言われた中から堀越を選びました。
しかし、
結局高校は1年半で中退するのでした。
これが逃亡です。
しかし短い高校生活で出会った友達とは今ま付き合いがあるし、高校に行かなかったらアルゼンチンにも行かなかったし、Jリーグのチームに所属する事は無かったと思うし、そこでの経験と出会いは、今俳優として活動する自分には掛け替えの無い財産となってます。
いや、自分の職種関係なく一生の宝です。
そして、なぜ僕は高校を中退しアルゼンチンへ行ったのかというと…
単純に周りの選手のレベルに圧倒されたのです。
大人のような体格、技術の高さ。持久力、瞬発力の早さ、どれを取っても自分より数倍も勝ってました。
中学まで練習は週2回、練習メニューもほとんど紅白戦。
試合は年に2.3回ある公式戦の1回戦のみだった僕のサッカー偏差値は引くく、練習についていく体力もなかった。
僕はここで間違った感覚に陥るのです。
『ついていけない…勝てない…よし頑張ろう』
とならず
『ついていけない…勝てない…別の場所に行こう…』
ここで疑問なのは、なぜセレクションに合格したのか…
FWで試験を受けた僕は2試合で5点取りました。全て誰かしらの素晴らしいシュートのこぼれ球でした。
FW 2試合 5得点
良い数字です。。
ただのラッキーゴールです。
それも実力と言われるかもしれませんが、
当時の僕はそれを実力と受け入れられず、
逆にコンプレックスの材料にしたのです。
『点なんて入れてなければ、この環境にショックを受ける事も無かったのに…』と、
自分の実力の無さを入学後に痛感しました。
では、なんで日本よりサッカーがはるかに強いアルゼンチンに行こうなどと思ったのか…
ここである日系アルゼンチン人が現れ、環境は急変していきます。
また今回も結論まで辿り着けませんでした…
悪しからず。