曖昧で漠然とした夢
アルゼンチンへの留学にかかる費用はとても大きな額でした。
僕の勢いから生まれたわがままを、母は二つ返事で受け入れました。たしか僕の記憶だと、『わかった。行ってらっしゃい』と、まるで日帰りで箱根に行く事を伝えたような対応でした。
母はアルゼンチンがどんな国か、どこにあるかなんて知りませんでした。
事実、帰国して数年して訊ねるとその時ですら
『アルゼンチンはアメリカでしょ』と答えてました。
《南米》という文字に米がついていたからです。
どこで何をしようと、自分の息子がやりたい事を見つけた事が嬉しくそれが全てでした。
せっかく推薦で入れた高校をずぐに辞めたのに…今自分が親になって、少しは当時の母の気持ちが想像できますが、実際に子供の選ぶ人生を経済的に助ける事ができるかは不安です。
こんな時、親は何がなんでもやるのでしょうか…
しかしここで美談にはならず問題だった事は、母に貯金など全くないのに、
『行って来なさい』
と言った事です。
どうにかなると思ったと思います。
母親は当時から渋谷に十坪ほどの酒場を営んでました。
僕が生まれるときにはじめた店です。
店の名前はダウンタウン。
優しいガス燈の灯りのような店にしたいと
《ランタン》とつけようとしたのですが、
知り合いがご祝儀に看板を作ってくれるとの事で電話で《ランタン》と店名を伝えると、
出来上がってきた看板は
《ダウンタウン》でした。
当時は出版関係の方や広告関係、テレビマンなどいわゆる《業界》と言われる世界でバリバリバリューに働いている方々がお客様でした。
留学の仲介人である日系アルゼンチン人とも相談して、留学費用の支払いは分割にしてもらい。航空券と当面の生活費を支払いました。
留学費用が母の生活を圧迫させた事や、ダウンタウンという店の事はまた折りを見て書きます。
アルゼンチンまでの航空券はたしか往復で20万しないくらいでした。
別に帰る気がマンマンで往復にしたわけでなく、観光ビザの都合上往復チケットを購入する事が必須でした。
旅の荷造りは基本的に着替えだけで、トランクはなんとなくいっぱいになり楽でした。
勢いで決めたアルゼンチンへのサッカー留学。
それと共に僕は漠然と目標を立てます。
20歳までにJリーガーになる。と…
こな曖昧で計画性もない小学生の夢のような目標を結果的に僕は叶えます。
その結果を踏まえて、夢の実現までのストーリーにしばしお付き合いください。
また今回のブログも、出発どころか成田までも行けませんでした。
悪しからず…