カッコつけたカギカッコ
アルゼンチンには観光ビザで行きました。
観光ビザに与えられた滞在期間は3ヶ月です。
当時、外国人がアルゼンチンでサッカーの公式戦に出場するには永住権の所持が絶対条件で、仲介人との契約書の覚書には、永住権を取得する事が書かれていました。
アルゼンチンに行く事を決意すると、
なんだか体と心が軽くなりスッキリしました。
それは学生時代に新しいノートを手に入れた感覚に似ていました。
『今日から綺麗にノートを書き、少し勉強を頑張ろう』そう気持ちを切り替えられた気がしました。
サッカー部の顧問だった先生には学校に残るよう説得のため呼び出されました。
『3年に進学したら直ぐにAチームのレギュラーで使おうと思っている…せめて、夏休みの間だけ行くというのはどうか?』
と言ってくれましたが、この頃から確約のない約束には興味がなかったし、僕の頭はもうすでに日本から離陸していて、想いはもうどこかの国の上空にありました。
それにその言葉の奥には一人の選手を失うというより、一人の生徒が居なくなるという思いの方が強いと僕は感じとってました。
そういえば、この時は二年生の一学期が終わろうとしていた6月で、堀越高校サッカー部は東京都の予選を勝ち抜きインターハイという全国大会の切符を手にしていました。
東京予選ではベンチ入りのメンバーには入っていませんでしたが、Aチームの中には入り、試合中にAチームの選手の身の回りの世話をしていました。
ワールドカップの日本代表で言えばサポートメンバーです。
グランドの外から応援している同級生や先輩、後輩達はなんで僕みたいな実力の選手がAチームに入っているのか疑問だったと思います。
それ以上に本人の僕はもっと疑問でした。
そんな僕はアルゼンチンに行くんです。
インターハイ出場が決まったサッカー強豪校で2年生でAチームに入り、アルゼンチンへサッカー留学…こんなにカッコのついた去り方はなかったと思います。
しかし、カッコをつけた本心と共に
本音を隠してカギカッコをつけた自分がいました。
僕の事を知らない人達とサッカーがしたい。
この選択にアルゼンチンを選んだのは無謀です。しかしサッカーでアルゼンチン人に負けるのは当たり前だしそう考えると気が楽でした。
ただお金です。三年間の留学費用は小さな酒場を営む母親の生活を圧迫しました。
さらに、仲介人との約束事が実現されない諸問題、それに付随して永住権取得の問題と
畳み掛けてきました。
しかし僕の周りにはいつも良い選手がいました。ここで言う良い選手というのはサッカーが好きだという事です。
今となっては全ては良い経験だったと思えます。
人生自分の思い通りにいく事はほとんどありませんがその中でどう存在するか、面白がるかこれはゲームです。
嫌な出来事を良い思い出に変えるには、時間と行動し続ける事なのだと今は分かります。
当時は必死でしたが…
でも、若い時は行動し続けなければならない環境に囲まれているから、歳を重ねると辛かった事も良い思い出になるのかもしれません。
また一つ一つブログに綴ります。
今回もまたアルゼンチンに飛び立つところまで行きませんでしたね…
悪しからず。