僕はお客様…

アルゼンチンでのリーグ公式戦に出場するにはプロアマ問わず永住権の取得が必要だった。

南米へのサッカー留学と言えばキャプテン翼の影響からブラジルが相場で、日本のJリーグ開幕に大輪の花を咲かせた先駆者の三浦カズ選手の活躍もあり、ブラジルには沢山の日本人サッカー留学生が海を渡っていた。

日本人サッカー選手=下手から、

日本人サッカー選手=お金を持ってくるお客様

という扱いを受けている事はアルゼンチンへ来ていた日本人プレイヤーの耳にも入っていたし、アルゼンチンにいる僕らもまた少なからずお客様に過ぎなかった。

 

名門サッカークラブ、リバープレートの練習に参加できていた裏にはクラブ側と代理人の間で少なからず金銭のやり取りがあったと思われる。

直接そのやり取りを目にした訳ではないが、永住権がなく公式戦に参加できない選手の練習参加がクラブ側にメリットの無い事を考えると考えは妥当だ。

しかし、リバープレートでの練習に参加できる日々はとても刺激的で、芝生でのサッカーに慣れない僕は足をつりながら走り、日本のサッカーでは考えられないほど相手に身体をぶつけ戦っていた。

こうして僕はアルゼンチンサッカーを全身で感じ愛していく...

僕は周りの誰よりもサッカーを愛し、サッカーと結婚をした。

こんなにサッカーが下手だった僕がサッカーと結婚できたのは、紛れもなく愛でしかない。

しかし後にJ2モンテディオ山形の選手になった時、ある出来事がきっかけで僕はサッカーと離婚をする。

今では時が経ち元嫁のサッカーと交流することもあるが、サッカー選手を辞めた当時の生活は悲惨なものだった…それでも人間という生き物は面白いもので生きる希望を見果てぬ町に探す。この時期の話もゆくゆくは語る時がくるだろう。

 

希望に満ちていたアルゼンチンでのサッカー生活で僕は一つの選択の日を迎える。

アルゼンチンにサッカー留学している日本人サッカー選手のほとんどが手にしていない、永住権を取得する事ができると代理人から話があったのだ。

しかし、それに伴いリバープレートを離れるか否かの選択を迫られた。

永住権を手にし、公式戦に参加できる状況を満たしてもリバープレートでは試合には出れないと告げられたのだ。

僕は練習についていけている手応えがあった。

紅白戦に参加すればゴールも決めていた。

しかし、所詮お客様だったのだ。

試合に出ずにリバープレートの練習に参加し続けるか、公式戦に出場させてくれるクラブを探すか…僕は即座に後者を選んだ。

芝居もそうだが稽古だけしていても満たされない。

僕のクラブ探しが始まる…

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リバープレート2軍での記念撮影、

右から3番目辺りにいるのが僕です。