僕が3年間過ごした頃のアルゼンチンという国
日本の裏側…
アルゼンチン…
僕は1995年から1998年の間、16歳から19歳までの約3年間をアルゼンチンで過ごしました。
マラドーナやメッシが生まれた国。
タンゴの国。
牛肉の消費量世界第2位の国。
(1位はお隣のウルグアイ)
青い空が広がる国。
晴れた日に広がる青空と優雅に泳ぐ白い雲はまさにアルゼンチンの国旗🇦🇷そのものでした。
生まれ育った東京に比べると立ち並ぶ建物が低かったからなのか、ブエノスアイレスの空は果てしなく広がっていて、手を伸ばせば空の水色が手につくような気がした。
日本からアルゼンチンまではトランジット含め飛行機で24時間から33時間。
ブエノスアイレスから真っ直ぐ穴を掘ると小田原に繋がると聞いた事もあります。
僕の周りにいたアルゼンチン人のアミーゴ
(友達)は日本の事をほとんど知らなかった。
僕がアルゼンチンの事をあまり知らないように…
アルゼンチン=マラドーナ…タンゴ…
に対して、日本=サムライ…ニンジャ…
でした。
アルゼンチンは移民の国。
スペインの植民地だったため公用語はスペイン語、ブエノスアイレスの街並みはまるでヨーロッパのようで、石造りの建物が立ち並び《南米のパリ》なんて言われているようです。
《ブエノスアイレスの綺麗な街並みを自動車が走っている日本のTVCMをよく観ます》
僕がなぜアルゼンチンに辿り着いたのかと言うと、母を訪ねたわけでもなく、
ただ逃げるため…
でも後ろに引き返さずに前に逃げた先がブエノスアイレスでした。
僕は小学校3年生からサッカーを始め、
小、中とたいして強くない学校のサッカーチームに所属し【お山の大将】でいました。
勉強は全くできず、というか負け惜しみを言えば勉強は全くせずサッカーだけして、自分はプロになれると勘違いしながら学生生活してました。
渋谷のお山の大将の小さな逃亡先が
続きはまた。